フリーランスになった理由は子どものため。時間とかチンケな話ではない。

子どもの幼稚園のクラスの保護者に、会社の元同僚だった人がいます。

 

顔を合わせるついでに会社の様子を聞くことも多く、そのたびに考えることもあります。

 

私と同じ部署だった同い年のあの子は、主任に昇格したらしい。

そして親会社に転籍したらしい。

私がいた部署には、「合わないな」と思っていた上司が異動してきたらしい。

お世話になった上司は、別の部署に異動したらしい。

 

「私も仕事を続けていたら多少は役職がついたのかな」とか、「待遇のいい大企業に引き抜かれたのかな」とか、「はたまた、合わない上司にうんざりして、ストレスをためていたのかな」とか、「子どもがいて時短で働く私は、同じ部署のあの子に迷惑をかけていたのかな」(「あの子」は独身です)とか。

 

「たられば」のルートが、何本も並走するのです。

 

 

「たられば」をいくつ仮定しても、まあそれはただの仮定で、現実の私はというと、文章を書いたり、最近ではイラストを描いたりマンガを描いたりしているのですけどね。

 

空想よりも現実の方が、わりとふざけた事態だと思います。

 

 

自分から「ふざけた方」を選んだ理由は、恩着せがましくいえば「子どものため」なのだけど、それは子どもと過ごす時間がどうちゃらとか、そういう話ではないのです。

 

 

私の経歴をあげれば、自分の学力に見合う高校に進学して、部活を一応がんばって、親や先生が納得してくれそうなラインの大学に現役で合格して、部活を一応がんばって、就職難だったから就職にはそこそこ苦労したけど、それでも大手新聞社の系列会社にひっかかってそこそこの環境で10年近く働かせてもらって、学生時代から付き合っていた人とこれといった障害もなく結婚して…

 

ひとことでいえば、普通な人生なのです。

 

で、子どもが生まれたとき、私は「普通」な自分にすごく危機感を持ったのです。

 

 

「この子が“普通”におさまらなかった場合、私はその事実を受け止められるだろうか?」

と。

 

“普通”は選択した意識をしなくて済むから、弱いのです。

 

たとえば、今でも少数派である、“結婚しない”という選択をした場合は、周りからもいろいろ言われると思うので、選択した理由を考える機会があると思います。

 

でも“結婚する”という選択をした場合には、“なんで?”と世間にいぶかしげに聞かれることはないので、わざわざ選択の理由を考える機会はあまりないでしょう。

 

高校に進学した。大学に進学した。会社で働いた。結婚した。子どもを産んだ。

 

全部“普通”です。特につっこまれる点もない。

 

でも、「ああ、なんか私“普通”だな」と思う自分もいた。

 

で、「なんで私は“普通”なのかな」と考えたときに、

 

“普通”から外れるのが怖い

 

という本音に気づいたのです。

 

 

そのときに

「あ、これはやばいぞ」

と思いました。

 

 

 

自分が怖いのはまあいい。

 

けど、子どもが“普通”から外れたら?

 

きっと、恐怖から全力でレールに引き戻すと思う。

 

「自分が怖いから」子どもには普通でいてほしいなんて、

それ、

母親としてかっこ悪いじゃんね?

 

 

 

会社員をやめると決めたとき、ものすごく気持ちの悪い日々を送りました。

 

10年近くも働いた愛着のある職場。

上司との信頼関係も築けていたし、家族も協力的だった。

「お金が足りない」といって、後悔しないだろうか。

「社会から取り残された」と感じて、後悔しないだろうか。

 

それでも、「正解」であるだろうレールを降りる決断をしました。

 

 

今の日本の会社は、時間を捧げられることを前提に動いている

体力に自信のない私には、家庭がありながら会社で働き続けることに向いているとは思えない

会社員以外の働き方があるのなら、経験してみたい

 

などの思いがあったからです。

 

 

思いがあるのに、「怖いから動かない」というのはどうなんだろう?

そんなことをしていると、身の回りの人に対しても「怖いから動くな」と強要してしまうんじゃないだろうか?

 

私はガマンしているのに。

あなたは私を不安にさせるのか。

 

そう責めるんじゃないだろうかと、怖くなりました。

 

 

 

そういうわけで、正社員のレールを降りた理由は「子どものことを考えると~」とか言っておりますが、

 

「あ~、子どもとの時間ほしいよね~わかる~」

 

って感じになると

 

 

ちょっとチガウ(;'∀')

 

と思ってしまう今日このごろでございます。