「あたしおかあさんだから」の違和感 もうちょいマニアックバージョン。

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fujicoo.hatenablog.com

 

「あたしおかあさんだから」の

「あたし」の表現に

 

「“あなたにあえたから”に

まとめきれない

何かが投影されているような

キワキワ感のあるワードチョイス」

 

というコメントを

 

この人の言語嗅覚は天才的だと常々思っている

村松志真さんからいただきました。

(しまさんの職業は整体師さんです。)

 

 

これね…私もタイトルみたときひっかかったんですよ。

 

なぜ「わたし」でなく「あたし」?

 

作詞ののぶみさんは

「育児をがんばっている、若いお母さん」

くらいの意図でチョイスしたのかしら?

 

でも、この「あたし」のチョイスが

いやだなあ、と思ったんですよ。

ファーストインプレッション。

 

私を「あたし」という女性って

どんなイメージを持ちますか?

 

まだまだ「女の子」でいたい。

 

そんな、

「女性としては未熟」なイメージがありませんか??

 

 

子供にすべてをささげることにつらさを感じてしまう、

「女性(母)として未熟なあたし」

 

そんな自分を責める心情さえ伝わってくる気がしたのです。

 

勘ぐりすぎかもしれませんが。

 

 

 

なんで自分責めをしながらのワンオペ育児を賛美しがちになってしまうかというと、

 

「母親とは、何があっても子を優先する存在であってほしい」

という願いが

みんなにあるから

 

というのもあるのではないでしょうか。

 

それはなぜかというと、

 

みんな死ぬまでお母さんの子供だから。

 

 

お母さんには何があっても愛してほしい。

自分を肯定してほしい。

 

だから、どれだけ苦しくても頑張るお母さんに自分の母親を投影して、

 

何があっても母親は自分を大切にしてくれる

 

と信じたいのではないでしょうか。

 

でも、その頑張りはただの「我慢」だということに

なぜか大人ほど目を伏せるのです。

都合の悪いことは見ないようになっているのでしょうか。

 

 

一方で、子供は「母親の我慢」に敏感です。

大人になってからでも「自分が子供だったら」と想像するだけで、違う感覚になるのがわかるのではないでしょうか。

 

「自分が子供だったら」

 

あの歌を聞いてうれしい気持ちになりますか?

 

 

 

私は、なりません。