世間一般の「普通」を目指すのは無意味だとわかった、ある出来事。

子どもの話の次は、祖母の話。

 

実家の近くで一人暮らしをしている母方の祖母の、物忘れがひどくなっているようです。

私にとっては優しいおばあちゃんですが、この祖母がなかなかの曲者。

 

とてもしっかり者だったのですが、プライドがめちゃくちゃ高くて「助けて」が言えないのです。

むしろ「なぜ口に出さなくとも察して私を助けない!?」と怒り出すタイプ。

 

特に心を許している家族に対しての態度がひどく、祖父が生きている間は祖父がそのサンドバッグだったのですが、祖父が亡くなってからは長女である母がサンドバッグに任命され、母も毎日ストレスを溜めている様子でした。

 

 母がおすそわけしたおかずを食べては「私のほうが上手だ」と言い、祖母が大変そうに洗濯物を干していたので(母のほうが10cmほど背が高い)手伝うと、もう一回しわを伸ばしてから干しなおし・・・

 

「おばあちゃんは自分でしないと気がすまないみたい」(BY母)

 

ちなみに母は几帳面にこなそうとする性格で、料理オンチでもないです。

でも祖母のほうが天然で几帳面です(笑)

 

祖母は都会的な生活を好み、田舎くさい同居生活や過剰な近所付き合いを嫌う人だったようです。(もちろん挨拶とか地域活動はそれなりに参加していましたが)

もろもろの実務能力が高い人だったので、周りに頼らない生活もよかったのだと思います。

 

ただ、年老いて出来ないことが増えていくという現象には、誰も抗えないんですね。

 

ひとり暮らしなのに、もろもろの予定が覚えられない。

金融機関などに行って手続きをするにも、同伴者が求められる。

新しく買ったものの、使い方がわからない。

体力がないので家の用事も一人では困難なことが増える

 

 

できない。わからない。

 

周りに迷惑をかけることを嫌い、人に頼らずに生きていくことをよしとしてきた祖母には(心理的には祖父などに頼ってたのですけどね)、加齢による衰えはとても屈辱だったと思います。

 

で、私は気づいたのです。

 

年老いたらみんな「普通」のことが出来なくなるんだ。

 

 

じゃあ「普通」「人並み」を至上命題にするなんて、誰にとってもムリゲーなんじゃないか?

 

人並み、世間並みという意味の「普通」でないと許されないのなら、みんな最後は許されない存在になってしまうんじゃないか?

 

 

なんかそう思うと

 

世間並みとかクソやな(笑)

 

 

という結論になりました。

 

いやー言葉が汚くて申し訳ない。

 

 

 

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 もう一回アラ!の画像貼っとくんで許してください(笑)